旅日記
ダラムサラはチベット亡命政府がある町であると同時に、インド人にとっての避暑地でもある。4~6月、インドは日中の気温が40℃を超す酷暑期となるが、北方のここダラムサラは日中でも最高気温30℃、日が暮れると15℃くらいまで下がる。
今日はデリーからインド北部の町ダラムサラへ移動する。
今日は国立博物館とインド門へ。
インドの首都に来たものの、まず向かったのはチベット難民居住区マジュヌカティラ。 デリー市内の北に位置するこの地区へは、地下鉄とリクシャーを乗り継いで行く。
この旅が始まって1ヶ月が経った。 全行程10ヶ月の予定なので、10分の1が終わったことになる。 タイにいた日々がかなり前のような気もするし、あっという間にひと月たった気もする。
下痢・嘔吐・発熱・頭痛がおさまり、最後に便秘がやってきた。
昨日飲んだ薬のおかげで、下痢と吐き気はおさまったけど、相変わらず頭痛と発熱は続いている。
んんんん?? 様子がおかしい。
以前にブログで書いたように、ガンガー沿いにはガートが約80ある。 そして、そのうち2つのガートは火葬場として使われている。 北のマニカルニカ・ガートと、南のハリシュチャンドラ・ガートだ。
ガンガーはいつ見ても美しい。 乾季の今はいつでも晴れ渡っているし、雨が降らないので河の流れはいつも穏やかだ。 そんな四六時中みても飽きないガンガーだが、とくに素晴らしいのは日の出のときかもしれない。
インドの国民的飲み物といえば、まず第一にチャイ、そしてラッシーが挙げられる。 ここバラナシにはいくつものラッシー屋が軒をつらねている。
「バラナシの日常1」ではガンガーについて書いた。今回はバラナシの街を見てみる。
ガンガーといえば沐浴。 沐浴しなければバラナシ来た意味がないってほどでもないけど、せっかく来たんだし経験してみることに。
バラナシはヒンドゥーの聖地。 バラナシ、バナラシ、バナーラス、ヴァーラーナスィー、ワーラーナシー、カーシーなどいくつもの名で呼ばれる。
1泊2日のガヤー滞在を終え、今日はバラナシへ移動する。 ガヤーからバラナシ行きの列車は一日複数の便が出ているが、午前の便は7時発の一本のみ。次便は14時だ。
仏教には四大仏跡がある。 釈迦生誕の地ルンビニー、初転法輪したサールナート、入滅の地クシナガル、そして今回訪れたブッダガヤーの4つだ。 このうちルンビニーはネパール領内に、それ以外はインド東部に集中している。
今日は22時の列車でコルカタからガヤーに移動する。 コルカタの街はフーグリー河によって東西に分けられていて、宿は東側、列車が出るハウラー駅は河の西側にある。 なのでまずは舟で河を渡る必要がある。
今日はコルカタ最大のモスク、ナコーダ・マスジットへ行ってきた。 地下鉄マハトマガンジー駅から徒歩15分のはずが、1時間くらい辺りをさまよってようやく到着。
今日はカーリーガート寺院へ。 カーリーガートは写真撮影禁止で、靴も脱がなければならないので、手ぶら+サンダルで行動した。
8時半に朝食。 宿に無料の朝食ついてるってすばらしい。
午前3時。ベンチでの仮眠から目覚めてチェックインカウンターへ向かう。 今回バンコク→コルカタ間で利用する航空会社は、インドのLCCスパイスジェットだ。
朝起きると体調が回復していたので、予定通り2ヶ国目のインドへ行くことに。
9時にトゥクトゥクでチェンマイ空港へ。
朝起きるとアゴの下にしこりができていて、押すと痛い。 それに頭が重く、歩くとなんだかフラフラする。
今日は朝イチでワット・ドイステープへ。 チャンプアック門前のセブンイレブンにドイステープ行きのソンテウがあり、最低10人集まらないと発車しない。往復100バーツ。
今日はチェンマイの旧市街を徒歩でまわる。 チェンマイは昔のラーンナータイ国の首都。 旧市街は1辺2km弱の正方形のかたちをしていて、東西南北には当時の城壁の門が残っている。
気づけばもう4月。 今日は朝からスコータイをまわる。 宿をチェックアウトし、バックパックを預かってもらっていざスコータイ旧市街へ。
6泊した宿をあとにして今日はスコータイへ移動する。 同じ宿に6泊もするとさすがに飽きた。同じ宿には3~4泊が限界かも。
とりあえずバンコク最終日。 本日(水曜日)は9時半からバンコク国立博物館で日本語ガイドツアーがあるので参加することに。
朝9時に路線バスでカオサンかビクトリー・モニュメントへ。