27日目:火葬場
以前にブログで書いたように、ガンガー沿いにはガートが約80ある。
そして、そのうち2つのガートは火葬場として使われている。
北のマニカルニカ・ガートと、南のハリシュチャンドラ・ガートだ。
モラル的に写真撮影は禁止されているので写真はない(インド人は普通にパシャパシャ撮ってるけど)。
近くに行けばそこが火葬場であることはすぐ分かる。
ガート一帯のいたるところで火と煙が目につくからだ。
太い木材を土台にして、薪をちょうどキャンプファイヤーのように組む。
白い衣や、サリーのような橙色の衣につつまれた遺体が、男たちの手で運ばれてくる。
遺体は組まれた薪の上にのせられる前に、ガンガーに浸される。全身をガンガーに入れることで遺体を清めているのだろうか。
その後、薪の上にのせられた遺体のまわりを、遺族の男性のみが時計回りにぐるぐる回る。
最後に遺体の足もとに火がつけられ、遺体は火葬される。
1時間ほどで遺体は遺灰となり、その遺灰はやがてガンガーに流される。
堆積した遺灰によって、火葬場前のガンガーはどす黒くせき止められている。
不思議と鼻をつくような臭いは感じなかった。
ヒンドゥーの信仰では、生きる者はガンジス河に沐浴することで罪が洗い流され、死んだ者はガンジス河に死灰を流すことで輪廻からの解脱が得られるとされる。
インド全国にいるヒンドゥー教徒たちは、死期が近づくとガンジス河のほとりのここバラナシをめざす。カースト最下層の人々や、カーストに入ることもできないアウト・カーストの人々、そして貴族や首相といった高位の人たちまで、ヒンドゥーを信じる人々はやがてガンジス河に没する。
火葬場のすぐ隣りのガートでは、沐浴したり、洗濯したり、泳いで遊んだりしてる人たちがいた。なかなかすごい光景だ。生と死があまりに近い。
生と死、美しさと汚さ、混沌と整然。インドには極端なものしかない気がする。
日本もほとんどの場合遺体は火葬されるが、日本の葬式とは形式はもちろん雰囲気が全然違った。嘆き悲しむ人の姿がまったくと言っていいほど見られない。
また火葬場内で男性しか見受けられなかったのも印象的だった。女性は入ってはならないのだろうか。
関係ないけどガンガー沿いのストリートアート