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石川さん旅にでる

理系学生。世界一周めざして奮闘中

61日目:トゥールスレン虐殺博物館

旅日記 旅日記-カンボジア

トゥールスレン虐殺博物館へ行ってきた。

ポル・ポト政権下の1975~79年に起きた大量虐殺で、拷問・処刑を実施した施設はカンボジア全土に数百ヶ所あったが、その中でも規模が最大だったのが、ここトゥールスレンだ。

当時 'S21' と呼ばれていたこの施設は、現在ではトゥールスレン虐殺博物館として一般公開されている。

とてもじゃないが写真を撮る気にはなれなかった。

 

宿からは徒歩圏内。

入場料は6ドル。でも国際学生証の提示で無料に。日本語音声ガイドを3ドルで借りて中へ。

施設はA~D棟の全4棟からなり、C棟以外の3棟は見学用に改修されている。C棟はほぼ当時のまま、外部は有刺鉄線で囲まれ、内部には独房が並んでいる。

それぞれの棟は3階建てで、中には拷問器具や拷問のようすを描いたイラスト、そして数え切れないほど多くの収容者・看守の顔写真が展示されている。

 

近現代にはいり、30年代のスターリンによる大粛清、40年代のナチスによるホロコースト、90年代のルワンダ大虐殺など、多くの大量虐殺が世界各地で行われてきた。

どれも異常であったことは疑いないが、ポル・ポトの大量虐殺が突出しているのは、その比率だ。当時の人口800~900万人のうち、虐殺されたのは200~300万人。実に総人口の1/4~1/3にあたる。

そしてこの虐殺において拷問・処刑を実行したのは、年端もゆかぬ少年兵たちだった。

 

なぜこのような大量虐殺が行われたのか。

それには隣国で起きたベトナム戦争と、ポル・ポトの思想が深く関わっている。

1965年、ベトナムでは、社会主義を掲げる北ベトナム南ベトナムとの間でベトナム戦争が勃発した。

これは北ベトナムを支援するソビエト・中国と、南ベトナムを支援するアメリカとの代理戦争だったが、やがてアメリカは泥沼にはまっていく。

情勢を打開するため、アメリカは隣国のカンボジアに働きかけ、それまで政権を握っていたシアヌークを追放し、カンボジアに親米政権であるロンノル政権を発足させる。

これにともないカンボジアにもベトナム戦争の戦火が飛び火するようになる。

一方追放されたシアヌークは、亡命先の北京からカンボジア国内にロンノル政権打倒を呼び掛けた。そしてこれに呼応したのが、当時カンボジアに潜伏していたポル・ポト率いるクメール・ルージュだった。

1973年、アメリカがベトナムから撤退すると、それまでアメリカから援助を受けていたロンノル政権は崩壊。

そしてこの機に乗じ、クメール・ルージュは一気に政権を握ることとなる。

 

当初、クメール・ルージュカンボジアの民衆に、期待をもって迎えられた。ロンノル政権下における国内の荒廃により、国民の生活は困窮していたからだ。

この頃の様子を写した写真が、トゥールスレン虐殺博物館に展示してあった。クメール・ルージュの党員が街を練り歩くのを、民衆は手を振って迎えていた。

 

ポル・ポトをブラザー・ワン(党首)とするクメール・ルージュの政策は、共産主義一辺倒だった。クメール・ルージュがめざしたのは、カンボジアを農業を軸とする原始共産主義国家にすることだった。

近代的な農法・工具・家畜すらも廃し、すべて人力で耕作し、おもに米を生産する。知識人・文化人・その他近代的な生活を送ったことのある者、その家族は、海外に居住しているカンボジア人も含め、すべて抹殺する。

そうして残った、何の知識も技術も持たない人民だけで、共産国家を建国する。

これがクメール・ルージュが描いた理想の国家像だった。

 

知識人、文化人、その疑いのある者、ときにはただ眼鏡をかけているという理由だけで、人々は捕まえられ、次から次へとカンボジア全土の収容所へ送られた。

そして拷問を受け、嘘の自白書を書かされ、処刑されていった。

大人たちが処刑によりいなくなっていく中で、残るのは当然子どもたちだった。その結果、兵士も看守もなんと医者までも、子どもが担うことになった。

しかしポル・ポト政権の崩壊が近づくと、この子どもたちもまた処刑された。

 

1979年、ベトナム軍と反ポル・ポト派の侵攻により、たった2週間でクメール・ルージュは倒れ、3年8ヶ月続いたこの大虐殺は終結した。カンボジアには少年兵しかいなかったのだから、持ち堪えられるわけはなかった。

 

この虐殺が行われたのはたった40年前。

カンボジア滞在中に見かけたお年寄りたちは皆、当時を経験している。もちろん今は、少なくとも外見上は普通に暮らしているけど、内心どういう思いで生きてきたのだろうか。

 

解放後、トゥールスレンから生きて帰ることができたのはたった8人。その生還者はみな、何かしらの職能を有した人たちで、収容所で働かされていた人たちだった。

生存者のひとり、絵描きのバン・ナットという人のインタビューを音声ガイドで聴くことができた。次の言葉が印象に残っている。

私は、オンカー(組織)への服従ということは聞きたくありません。もしみんなが、オンカー(組織)と規律と命令に服従すること、
そして、命令服従か殺されるか、といったことしか考えられないなら、それは世界の終わりです。正義の終わりです。
理想などもうそこにはなく、人間の良心もありません。人が人のことを動物、いや動物以下にしたてるようになったら、
それは正しくないことなんです。正しくないんです。 

 

もう一つ、トゥールスレン虐殺博物館の記念式典に列席したドイツ大使の演説を聴くことができた。その言葉も印象に残っている。

どんな政治的目標やイデオロギーであろうと、それがたとえ、いかに有望に思えたり、重要に思えたり、望ましく思えたりしても、
個人の尊厳が尊重されない政治体制を正当化することは、決して出来ないのです。 

 

近年欧州を中心に巻き起こる移民問題。国民を扇動するポピュリズム。それは正しいのか。そこに個人の尊厳の尊重はあるのか。

 

以上。

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