79日目:旅の出会い&シャングリラからシャングリラに移動した日
2016年6月11日。
今日はシャングリラから乡城(シャンチェン)に移動する。予定だった。
朝6時半にチェックアウトし、バスターミナルへ。路線バスは7時半からの運行なので、タクシーを使った。7元。
8時半に出発。
道のりの半分くらいはガタガタのオフロード。
それにしても景色がすごい。
分け入っても分け入っても山、山、山。
そして空。ああこういう空好き。
あ、村!
こんな感じで谷間にいきなり村があらわれたりする。こんなところによく作ったなあ。
バスでたまたま隣の座席になったのは、なんと香港の日本語学校で教えている先生。学生時代に日本に留学したこともあり、もちろん日本語ペラペラ。ですぐに意気投合。香港と中国についていろいろと話が聞けてとても面白かった。
メモがてら「へえ~そうなんだ」となった話をピックアップすると、
たとえば香港の人は本名とは別に、English Nameをもっている人が多いという話。理由は、中国名は発音が難しく、外国人に覚えられにくいから。
ちなみに彼女のEnglish Nameはエリザ。たしかにこっちの方が覚えやすい。
香港はほかの省とはちがい、特別区に指定されているという話も興味深かった。行政や法律、福祉などで、中国本土とは異なる点が多いらしい。情報統制という目的で全国でおこなわれているインターネット規制も、香港は対象外。香港で買ったSIMなら規制されないみたい。
一番印象的だったのは、香港の人は”中国人”ではなく、”香港人”としての自覚のほうが強いという話。たとえば香港の人がほかの省に行くときは、「中国に行く」と言う人が多いんだとか。はたから見れば同じ国だけど、なかなか複雑なんだなあ。
そういえばこの旅で、エリザの他にも何度か香港の人に会ったけど、「Where are you from?」に対して「China.」と答える香港人はいなかったな。みんな必ず「Hongkong.」と返してきた。
台湾ほどではないにせよ、香港にも独立を希望する層が一定数いて、独立派・反対派・穏健派に分かれているらしい。
さて、エリザはこのバスで乡城(シャンチェン)まで行ったのち、稲城(ダオチェン)を経由してさらに南の亚丁(ヤーリン)を目指すらしい。なんでも亚丁はトレッキングで有名だそうだ。
一方の俺は、乡城(シャンチェン)の後、東チベットとよばれる地域に北上しようと考えていた。
が!
「せっかくここまで来たなら、絶対亚丁に行くべきよ」とエリザに言われ予定変更!
旅は道連れだ。俺はこの流れに乗るぞ。
15時半にバスは乡城に到着。
すぐにエリザがタクシーに話をつけてくれて、ここから一気に亚丁の30km手前の町、香格里拉乡(シャングリラ)へ向かうことに。
そう、今朝出発した町もシャングリラ。これから向かう町もシャングリラ。
戻ってきたわけじゃあない。ふたつの町は全くちがう町。
そもそも”シャングリラ”とは、イギリスの何とかという作家の小説に出てきた桃源郷の名前だ。小説の設定では、シャングリラは中国のチベット地方にあることになっている。
シャングリラって名前つけたら観光客たくさん来るんじゃね?と、十数年前、中国の3つの町(中甸、日瓦、あともう一つどっかの町。)が”シャングリラ争奪戦”をくり広げた。といっても戦ったわけじゃないけど。
で結局中国政府から公式に認められたのが、今朝までいたシャングリラ。以前の中甸だ。
でもここでめげないのが中国。公式には認められてないけど、争奪戦に負けた日瓦も最近シャングリラを自称するようになったらしい。うーんおもしろい。
その(偽)シャングリラに向かう途中で、標高は4,600mに到達。寒い。バックパックからマウンテンパーカーを引っ張り出した。
2時間ほどで到着。↓ちゃんと青年旅舎もある。
今日の夕食。鳥の足。食べにくかった。