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石川さん旅にでる

アジア・アフリカ横断をめざした理系学生の旅日記。

86日目:甘孜から色達へ。行くはずが・・・

2016年6月18日。

 

今日は甘孜(ガンゼ)から色達(セルタ)に向かう。まあ行けなかったんだけど。。

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色達は甘孜の北にある町。ほとんどの人はこの色達を拠点に、東チベットのハイライトであるラルンガル・ゴンパと鳥葬台へ向かう。

ゴンパについては昨日の旅日記↓で説明したので、今回は鳥葬について。

ishikawasan5050.hatenablog.com

 

漢字のとおり、鳥葬は遺体を鳥(ハゲワシ)に食わせる葬式のこと。

河口慧海チベット旅行記』から引用しておこう。鳥葬以外の記述もなかなか興味深い。

 

ここに一大不思議なる、世界にほとんど例があるまいかと思われるところの葬式を見ました。それは屍体は棺に入れるでもなければ、また壺へも入れない。

棒を二本横に並べてそれを縦にして、その棒にまた小さい棒を二本横たえてその棒を網のようにからみ付け、その上に敷物を敷いて屍体を載せ、その屍体の上へ白い布片を被せた儘(まま)で人が荷って行くんです。

葬式の門出をしますにも今日死んだからすぐに明日出すという訳にも行きませぬ。ことによると出せる場合もありますけれども、多くの場合は三日とか四日とか経ってからです。

なぜならば葬式を出すにも日の吉い凶いがあって、其日(それ)をよく見定めてから、どういう方法の葬式にしようか、この屍体はどう始末をつければよいかということをラマに尋ねなければならん。

そうするとラマは委しく(くわしく)書物を見、かつお経は何々、幾日のいつ頃にこの屍を門出して水葬にしろとか、あるいは火葬、土葬ないしは鳥葬にしろと皆いちいち指図を待たなければならんからです。
チベットのいわゆる鳥葬というのは仏法の方では風葬というもので、チベットでは屍骸をチャ・ゴエ(禿鷲)に食わせるのをもって一番良い葬り方として居るです。
その次が火葬、水葬で一番悪いのが土葬である。
土葬は通常の病気で死んだ時分には誰でもやらないです。チベット人は非常に土葬を嫌う、ただ天然痘で死んだ時分だけ土葬にするです。
それは鳥に与れば鳥に伝染の憂があり、また川に流せば他に伝染の憂があるというところから許さないのです。
火葬はまあ良い方ですけれども、殊に薪の少ない所でもありまさか屍体をヤクの糞で焼くことも出来ませんからそれで火葬は余程上等の人でなけりゃあ行われない。
水葬は大きな川の辺では大抵行われるです。それも屍体その儘川の中に放り込まない。
屍体の首を切り手を切り足を切り、みんな切り放して流すです。


大抵まあ僧侶は皆鳥に食わせる。ただ法王とかあるいは第二の法王および尊き化身のラマ達はこりゃ別物であって普通の僧侶は鳥に食わせます。

川端でしかも山の間に高さ六、七間もあろうかという平面の大きな天然の巌(いわ)があります。その平面の所は広さ十五、六坪もある。そこがすなわち墓場でして、墓場のぐるりの山の上あるいは巌の尖(さき)には、怖ろしい眼つきをした大きな坊主鷲が沢山居りますが、それらは人の死骸の運んで来るのを待って居るのです。
まずその死骸の布片を取って巌の上に置く。で坊さんがこちらで太鼓を敲き(たたき)鉦(かね)を鳴らして御経を読みかけると一人の男が大いなる刀を持ってまずその死人の腹を截ち割るです。そうして腸を出してしまう。それから首、両手、両足と順々に切り落して、皆別々になると其屍を取り扱う多くの人達が料理を始めるです。
肉は肉、骨は骨で切り放してしまいますと、峰の上あるいは巌の尖に居るところの坊主鷲はだんだん下の方へ降りて来て、その墓場の近所に集るです。
まず最初に太腿の肉とか何とか良い肉をやり出すと沢山な鷲が皆舞い下って来る。

もっとも肉も少しは残してあります。骨はどうしてそのチャ・ゴエにやるかというに、大きな石を持って来てドジドジと非常な力を入れてその骨を叩き砕くです。その砕かれる場所も極って居る。巌の上に穴が十ばかりあって、その穴の中へ大勢の人が骨も頭蓋骨も脳味噌も一緒に打ち込んで細かく叩き砕いたその上へ、麦焦し(むぎこがし)の粉を少し入れてごた混ぜにしたところの団子のような物を拵えて鳥にやると、鳥はうまがって喰ってしまって残るのはただ髪の毛だけです。

 

この鳥葬は、今でもここ色達の近郊でおこなわれている。中国当局の指導で、チベット自治区では鳥葬は禁止されているため、自治区内から東チベット地域の鳥葬台に遺体が運ばれてくるらしい。

結局俺は鳥葬を見ることはできなかったが、こういう風習・しきたりもあるんだなあ。

ちなみにYouTubeとかで検索すれば見れます。

 

さて旅日記に戻ろう。

乗り合いが甘孜を出発したのは朝9時。

2~3時間で、まずは炉霍(ルーホウ)に到着。

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写真は撮ってないけど、割と栄えていた印象。公安が多かったのも覚えている。

 

ここ炉霍で乗客をあつめ、色達に向けて出発したのが昼過ぎ。

そして色達の40~50km手前、翁達(ワンダ)の検問でついに引っかかってしまった。パスポート出して、と言われた時点で、もう諦めるしかない。

外国人はこれ以上進めないから、ほかの町に移動しろと言われたものの、今日はもう移動手段がない。

なので近くのホテルまで警察車両に乗せられ移動。

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明日の朝に成都行きのバスが通るから、それに乗れとのこと。

しかもこのホテル60元/泊。高いなあ

 

まあラルンガル・ゴンパは残念だったね~と夫婦と3人でビールを飲んで、この日は終了!

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