石川さん旅にでる

アジア・アフリカ横断をめざした理系学生の旅日記。

シルクロードをたどる

22時、夜行列車は西安を出発した。
夜行列車はベトナムで乗った寝台列車以来だが、今回は「硬座」、つまり座席だ。名前と違い硬くはないが、リクライニングは効かない。
周りの中国人はカップ麺を食べ、お茶をすする。そしてヒマワリの種をつまむ。床が種の殻だらけになろうが、誰も気にしない。僕も気にしない。どうせ種の殻だ。
夜行だからといって車内が暗くなることはない。こうこうと蛍光灯がともる中、寝るに寝られないまま、ゆっくりと時間が過ぎていく。

これからシルクロードを辿る旅がはじまる。目指すは数千キロ西のトルコ・イスタンブールだ。
シルクロードと一言でいっても、その経路は複雑多岐にわたるが、今回考えているのはその中でも最もオーソドックスなルートだ。西安を起点とし、現在の甘粛省にまたがる「河西回廊」を経たのち、タクラマカン砂漠北縁に沿うように新疆ウイグル自治区を横断する「西域北道」をたどる。その後は中央アジアとイラン、さらにコーカサス地方を経て、ようやくトルコに至る。
ちなみに中国政府が現在すすめている一帯一路政策の「一帯」はこのルートとほとんど同じだ。

シルクロードのはじまりは紀元前2世紀にさかのぼる。前漢の時代だ。この時代、匈奴の侵入に悩まされていた前漢は、現在のキルギスにあたる地域を支配していた大月氏に協力を求めた。結局、前漢と大月氏が手を組むことはなかったが、これを機にトランスオクシアナ(現在の中央アジア)と中国を結ぶ交易が開始された。これがシルクロードの源流で、その後さまざまな王朝や帝国の興亡を経て、シルクロードはアジア、欧州、北アフリカの交易と文化をつないだ。

これから向かう河西回廊は、いわばシルクロードの玄関口。
蘭州、張掖、嘉峪関、敦煌と歩みを進めることにした。
朝6時、列車はその一つ目の都市、蘭州に到着した。

 

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