石川さん旅にでる

アジア・アフリカ横断をめざした理系学生の旅日記。

河西回廊をぬけて

朝8時に蘭州を発った列車は、定刻通り6時間半で張掖(ちょうえき)に到着した。

張掖は河西回廊中部に位置するシルクロードの要衝だ。でもここを訪れた目的は、その歴史ではなく景観にあった。七彩丹霞と呼ばれるカルストが見たかったのだ。「丹霞」は中国語で、赤い堆積岩が風雨で浸食されてできた地形を意味する。

翌日、宿で出会った中国人、イスラエル人、アメリカ人と共にいざ七彩丹霞へ。あいにく天気は曇りだったが、七彩の名の通り、多彩な色合いの地層が眼前に広がっていた。この丹霞が発見されたのはなんと2002年。歴史ある中国では生まれたての観光地といっていい。

 

張掖の中心部には西安の鐘楼と似た「鐘鼓楼」がある。かつては太鼓で時を告げていた鐘鼓楼のまわりには、現在は市とビアガーデンが開かれ賑わいをみせる。
旅の仲間とビールを囲む。話の内容は大抵いつも一緒だ。これまでどこを旅してきたか、これからどこへ向かうのか。時に現地の愚痴を言い、出身国の現状を憂う。
そんな、翌日には忘れてしまうような話をして、それでも、周りの喧騒と、そこで語らう自分たちにちょっとした一体感と高揚感を覚えながら、夜は更けていく。

 

旅は出会いと別れの連続だ。
今日は賑やかでも、明日もそうとは限らない。逆もまた然り。興味の似た者同士が偶然出会い、一瞬時間を共有してまた散っていく。

翌日、ひとり列車に揺られながら、つぎの街、嘉峪関(かよくかん)へ向かう。
頬杖をつきながら車窓を眺めると、草木のない不毛な土地が続いていた。

嘉峪関はシルクロードの関所としての役割と、北方遊牧民の侵入を防ぐ長城としての役割を併せもった街だ。
かつて商隊や仏教徒が通ったであろう関所「関城」をくぐる。西域まで、あと少し。

 

明くる日、河西回廊西端の地、敦煌へ向かった僕は、そこでまた旅の出会いを味わうことになる。

黄河の街 蘭州

5:45、列車K169号は蘭州に到着した。この列車はこれから新疆ウイグル自治区コルラまで走り続ける。

蘭州には二つのユースホステルがある。まず「蘭州河馬公園青年旅舎」へ向かったが、こちらは潰れたらしい。ノックをしても応答はなかった。もう一つのユースは「大碗家青年旅舎」。もともとは「蘭州女掌青年旅舎」だったが名称が変わっていた。場所は駅前の大通りに面した古い雑居ビルの上階にある。所在を知っていたから辿り着けたが、看板もなく、知らなければ見つけるのはなかなか難しいだろう。外見とは裏腹に、内装はとても綺麗で過ごしやすい。中国人の学生が多く宿泊していた。45元/泊。

この街の名物は、蘭州ラーメン。そして黄河だ。
スープは赤く、見た目は辛そうだが、食べてみるとそうでもない。中華料理にハズレなし。

1路のバスに乗り「西湖公園」で下車すると、黄河が見えてくる。
言わずと知れた、中国第二の長さを誇る大河だ。6月だが水は冷たかった。
黄河をはさんだ向こう岸には白塔山があり、頂上にはチベット寺院がある。
汗をかきながら山頂に着くと、視界がひらけ、黄河と蘭州の街並みが眼前に広がった。
建設ラッシュが続く市街を尻目に、豊富な水量をたたえた黄河は、音もなく流れゆく。

思いのほか良かったのは甘粛省博物館だろうか。
シルクロードに関連した出土品が多く、コンセプトも優れていた。入場無料なのも嬉しい。

黄河をながめ、蘭州ラーメンを食べれば、この街でやるべきことはもうない。
明日、張掖へ移動する。

 

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シルクロードをたどる

22時、夜行列車は西安を出発した。
夜行列車はベトナムで乗った寝台列車以来だが、今回は「硬座」、つまり座席だ。名前と違い硬くはないが、リクライニングは効かない。
周りの中国人はカップ麺を食べ、お茶をすする。そしてヒマワリの種をつまむ。床が種の殻だらけになろうが、誰も気にしない。僕も気にしない。どうせ種の殻だ。
夜行だからといって車内が暗くなることはない。こうこうと蛍光灯がともる中、寝るに寝られないまま、ゆっくりと時間が過ぎていく。

これからシルクロードを辿る旅がはじまる。目指すは数千キロ西のトルコ・イスタンブールだ。
シルクロードと一言でいっても、その経路は複雑多岐にわたるが、今回考えているのはその中でも最もオーソドックスなルートだ。西安を起点とし、現在の甘粛省にまたがる「河西回廊」を経たのち、タクラマカン砂漠北縁に沿うように新疆ウイグル自治区を横断する「西域北道」をたどる。その後は中央アジアとイラン、さらにコーカサス地方を経て、ようやくトルコに至る。
ちなみに中国政府が現在すすめている一帯一路政策の「一帯」はこのルートとほとんど同じだ。

シルクロードのはじまりは紀元前2世紀にさかのぼる。前漢の時代だ。この時代、匈奴の侵入に悩まされていた前漢は、現在のキルギスにあたる地域を支配していた大月氏に協力を求めた。結局、前漢と大月氏が手を組むことはなかったが、これを機にトランスオクシアナ(現在の中央アジア)と中国を結ぶ交易が開始された。これがシルクロードの源流で、その後さまざまな王朝や帝国の興亡を経て、シルクロードはアジア、欧州、北アフリカの交易と文化をつないだ。

これから向かう河西回廊は、いわばシルクロードの玄関口。
蘭州、張掖、嘉峪関、敦煌と歩みを進めることにした。
朝6時、列車はその一つ目の都市、蘭州に到着した。

 

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96~100日目:在西安无所事事

2016年6月28日~7月2日

 

延長ビザの受領まで1週間。
パスポートが管理局にホールドされているので、動こうにも動けない。
西安は観光には事欠かない街だが、こうも滞在せざるを得ない状態だと、なんだか見て回る気が失せてくる。
のらくらと、无所事事な日々を過ごしながら、旅はついに100日目を迎えた。

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帰国

イラク北東部にエルビルという街がある。

トルコとイランに弓なりに沿うように広がるクルディスタン自治区クルド人は、自らの国を持たない世界最大の民族として知られるが、この自治区は、オスマン帝国崩壊以後、クルド人が初めて手にした自民族の土地だ。その契機となったのが2003年のイラク戦争であったことは、皮肉というほかない。そのイラク戦争も含め、ここ数十年間戦闘と混乱がつづくイラクにあって、この自治区は例外的に治安が保たれている。

エルビルはそんなクルディスタン自治区の主都で、数千年の歴史をもつ古都でもある。街の中心にあるシタデル(城塞)から市街を一望すると、想像とは違うイラクの光景が広がっていた。広場には噴水が上がり、夕方になると多くの地元民で広場はいっぱいになる。市場を歩けば、人懐こい人たちが次々と話しかけてくる。シーシャをくゆらせ、若者が集い、家族連れが憩う。そこにあるのは、テロでも略奪でも、まして戦争でもなく、平穏な日常だった。少なくとも、旅行者の自分にはそう見えた。

実際に訪れるまで、イラクには暗いイメージしか持っていなかった。そういう面ももちろんあるし、その方が多いのは間違いない。でもそれがすべてではないことを、この街は教えてくれた気がする。もっとこういうものを見てみたい。自分が勝手に抱いているイメージを覆してくれるもの。風景でも、人でも、モノでもいい。エルビルは、その後の旅の方向性を決めてくれた街だった。

ただ、エルビルの平穏はかりそめにすぎないのかもしれない。首都のバグダッドでは毎週のようにテロが起きている。エルビルの西方80kmにあるモスルは、イラクにおけるISの中心地だ。自分がクルディスタン自治区を訪れた3週間後、イラク軍による”モスル奪還作戦”が始まった。そしてそれは今、最終局面を迎えつつあり、モスルの難民は、クルディスタン自治区にも押し寄せてきている。

それでもまたいつか、訪れてみたい。そう思う。

 

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国境を越えるということ。

国境を越えるたび、言語が変わった。宗教が変わった。服飾が変わった。においが変わった。丸きり変わることもあれば、あまり変わらないこともあったけれど、そこにはある程度の連続性があって、たいていの場合、少しずつ少しずつ文化が移り変わっていった。
そういう文化の”色合い”を感じたくて、陸路にこだわった。点から点に飛ぶのではなくて、線でたどりたかった。

空港からはじまる旅とは、違うものがある。そう信じている。

 

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夕日は旅情をそそる。

この一年でいろんな夕日を見てきた。

マリ・ニジェール川にしずむ夕日。トルクメニスタン・荒野の地平線にしずむ夕日。セネガル・大西洋にしずむ夕日。インド・ガンジス河にしずむ夕日。タイ・水上マーケットにしずむ夕日…

場所が違えば、夕日の色も違うし、空のかすみ方も違う。
でも夕日を見るといつも感じた、あの何とも言えない切なさ。
あの溶けていきそうな気だるい空気と、一日の終わりとともに、夕日は旅愁を誘う。

明日という日は来るけれど、今日という日は二度と来ない。

 

帰国して4ヶ月が経ち、楽しかったことも、嬉しかったことも、苦しかったことも、辛かったことも、すべてが"いい"思い出に変わりつつある。
そしてその思い出がふと浮かんでくるとき、そこには夕日をながめたときと同じ、切なさが滲んでいる。

あの日の、あの自分は二度と戻って来ない。

 

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さて、次はどこへいこう

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