15日目:インド旅のはじまり
午前3時。ベンチでの仮眠から目覚めてチェックインカウンターへ向かう。
今回バンコク→コルカタ間で利用する航空会社は、インドのLCCスパイスジェットだ。
東京→バンコク間で利用したエアアジアと同様、スパイスジェットも機内持ち込みに制限がある。
大きさは55*35*25cm、重さは7kg。
エアアジアの時と同じく今回も、バックパックの上部フタを中に押し込む&バックパックからサブバッグへ一時的に小物を移す作戦を実行。
結果から言うと今回も余裕でクリア。
重さを測っただけ。6.6kgだった。
カウンターの人すごく優しかった。
4:55、離陸。定刻は5:10のはずなのに、10分くらい早く飛んだ。そんなんありか。
非常口横の座席になったおかげですごく広々。足伸ばしまくり。
しかも上部のバゲージスペースもかなり広い。バックパックを縦に入れられるほど奥行きがあった。
定刻より早く離陸したのに、着陸したのは定刻より遅い7時すぎ。まあ急いでないからいいんだけど。
イミグレを抜けてまずはATMへ。
キャッシングで5,000ルピーGet。
プリペイドタクシーに乗って空港最寄りの地下鉄ダムダム駅へ向かった。
空港の敷地を抜けたあたりから風景はまさにインド。
言葉ではうまく表現できないけど、なんだか頭が混乱するくらい混沌としていた。
まだ2ヶ国目だけど、しょっぱなからこんなに衝撃を感じさせる国はなかなかないと思う。
タクシーはクラクションを鳴らしながら路地を駆け抜けていく。
対向車がいようが、歩行者がいようが、リクシャーがいようがおかまいなし。
ほんの少し、ギリギリの隙間があれば迷わず進む。
2、30分ほどでダムダム駅に到着。160ルピー。
左には物乞いが見える。近づくと手を差し伸べてくる。
地下鉄は地上と比べると驚くほどキレイ。
写真撮影は禁止なので写真はないけど、管理が行き届いているのかゴミもなければホームレスもいない。
列車はほぼ定刻通りにくる。どの時間帯も乗車率は変わらず7~8割くらい。
ダムダムから目指すパーク・ストリートまでは10ルピー。
パーク・ストリート下車後、歩いてコルカタの宿「サンタナ・ゲストハウス」へ。
まだSIM契約をしていないので、GoogleMapは使えないし、ガイドブックや地図も持ち合わせていないので右も左もわからない。
街は汚い。どこを歩いていても、クラクションの音が鳴りやむことはない。
香辛料のニオイなのかよくわからないけど、かぐわしい匂いがする。
物乞いやホームレス、野良犬がいたるところにいる。歩道で洗濯をするホームレスもいた。
バックパックを背負っていると、みんながジロジロ見てくるのがわかる。
屋台の人や警官にたずねながら、なんとか到着。暑い。
サンタナ・ゲストハウスは今回の旅で初の日本人宿。
ここコルカタの他、バラナシとデリーにも支店がある。
8人部屋のドミトリーで1泊350ルピー。意外とコルカタは宿代が高いので、この値段はけっこうリーズナブル。
バックパッカーはもちろん、マザーハウスでボランティアする人や、ただただコルカタに滞在する人など、いろいろな考えの人がいて面白い。
そのあと歩いてモイダン公園のヴィクトリア記念堂へ。
中にはミュージアムがあり、コルカタの歴史が詳しく解説されている。わかりやすい。
下の絵画はムガル帝国皇帝と英国東インド会社提督が会談するようす。
その後イギリスはインドの植民地化をおし進め、ムガル帝国は滅亡したわけだが、その植民地支配の拠点となったのがここコルカタである。
そうして誕生したイギリス領インド帝国は、英国王室のヴィクトリア女王がその皇帝位を兼任した。それを記念して建てられたのがこのヴィクトリア記念堂というわけだ。
150年以上にわたりイギリスの植民地支配を受けていた歴史があるので、とくにその中心だったコルカタにはイギリスの影響がよく見られる。
中央郵便局や博物館、コルカタのセントラルターミナルであるハウラー駅など、街の中枢を担う建物はイギリス植民地時代に建てられたものが多い。
加えて、だいたい誰に話しかけても英語が通じるし、街を歩いていても英語表記が多く見られる(これはコルカタによらずインド都市部ならそうなはず)。
モイダン公園には馬がいた。
モイダン公園はコルカタ市民の憩いの場。かなりゴミが目立つけど、クリケットやタコあげをやる子供たちや家族連れがいて、のどかな空気が流れていた。それにしても暑い。