石川さん旅にでる

アジア・アフリカ横断をめざした理系学生の旅日記。

46日目:街を見下ろすメヘランガル・フォート

本日の最高気温43℃。ダラムサラに滞在していた時を除いて、5月に入ってから連日40℃超えが続いている。でも朝方35℃だったりすると若干涼しく感じるほど、この気温に慣れてきた。

 

さて今日はメヘランガル・フォートへ行く。

宿から坂の上の方を見ると眼前に広がる↓がメヘランガル・フォート。

フォートは城あるいは砦という意味。

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もともと坂の上にある宿から、さらに石段を登って到着。暑い。

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通常は入場料500ルピー、カメラ持ち込み料100ルピーなんだけど、国際学生証を提示したら入場料が400ルピーに割り引かれた。

国際学生証がこの旅で初めて使えた!インドというかアジア圏では使えないだろうなと思っていたので嬉しい。欧米では学割が効くところが多いので、学生旅行には必携のアイテムだと思う。

日本語の音声ガイドを借りてさっそく入場。

 

外壁の彫刻がきれい。

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現在ラジャスターン州と呼ばれるこの地方は、ラジプート家の各派によって数百年以上支配されてきたが、ここジョードプルはラジプート家の一派、ラトール家というマハラジャ藩王)が統治してきた。

このメヘランガル・フォートは1459年にラトール家15代目のラオジョッタにより建設されたので、都合500年以上にわたりジョードプルの街を見下ろしてきたことになる。その堅牢な造りのため、幾多の戦いをとおして一度も陥落しなかった。

 

ジョードプルに限らず、ラジャスターン州の各都市にはこのような城郭が多く建設され、それがこの地方特有の文化を形成している。

数百年前に形作られた”城郭文化”が今もなお当時の姿をとどめているのは、とりもなおさずこの地方がイスラム化しなかったことが影響している。

16-18世紀に隆盛を極めたムガル帝国は代々宗教には寛容だったが、第6代の皇帝アウラングゼーブは強くイスラム化を推し進めた。その結果、帝国内の多くの地域が多かれ少なかれイスラムへの改宗を余儀なくされた一方で、ラジャスターン地方の各都市はそれに抵抗した。とくにジョードプルは30年以上帝国と争い、ついにイスラム化を免れることとなった。

ではラジャスターン地方では何が信仰されてきたかというと、それはヒンドゥー教だ。

例えばジョードプルではヒンドゥーの宗教儀礼サティが行われていた。サティとは寡婦殉死のことで、国王が亡くなると、彼の葬儀のときにその亡骸とともに女王も生きたまま焼身自殺するというもの。もちろん今では悪習とされ禁止されている。

 

このメヘランガル・フォートで一番の見どころは、城から見下ろした街並みだ。

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みごとに青い。ジョードプルが「ブルーシティ」と呼ばれるゆえんだ。

以前は、ヒンドゥーカーストの最上位バラモンの住む家を青く塗る決まりがあったそうで、その決まりが無くなって以降誰でも青く塗れるようになったらしい。

 

メヘランガルにいたおっさん。

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