石川さん旅にでる

アジア・アフリカ横断をめざした理系学生の旅日記。

83日目:稲城から理塘へ&あらたな旅の出会い

2016年6月15日。

 

朝6時。香港に帰るエリザを見送り、ひとり旅に戻った。本当にありがとうございました。

 

うーん、なんて寂しいんだ。

複数で旅した後ひとりになると、なかなかくるものがある。

でも仕方がない。寂しいが次に進まなくては。

 

さてこれから向かうのは理塘(リタン)。

で理塘の場所を示すまえに、今さらながら、これまでどんな風に中国を旅してきたかというと、こんな感じ↓

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もう少し拡大してみる。

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ベトナムのラオカイから国境を越えて、まずは昆明へ。

もともとは、昆明から一気に成都に向かう予定だったんだけど、気が変わって西の麗江に行った。それが73日目の出来事だった。

ishikawasan5050.hatenablog.com

 

もっと地図を拡大しよう。

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そのあと麗江から、シャングリラ→乡城→亚丁→稲城と、約10日をかけて少しずつ北上してきた。地図を見てわかるように、理塘は稲城よりさらに北にある。

 

ちなみにシャングリラまでは雲南省。それより北は四川省

なんだけどシャングリラ・乡城・亚丁・稲城、そしてこれから向かう理塘は、今でこそ雲南四川省に属しているものの、中国がチベット自治区を設定する前、つまり中国がチベットを分割する以前は、チベットのカムおよびアムドと呼ばれる地域に含まれていた町だ。麗江からシャングリラに入った途端、チベット文化が色濃くなったのはそのため。

 

これ以降も引き続き成都までの数日間、チベット文化圏を旅することになった。ちなみに下の地図の地域は、バックパッカーの間では東チベットと呼ばれていたりする。

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さて、今いる稲城から理塘までは乗り合いバンで移動した。

中国は全土に鉄道とバスが網羅されているが、この地域は別。

「乗り合い」が移動の基本になる。仕組みはいたってシンプル。目的地が同じ人を集め、定員に達したら発車する。乗客が多ければ多いほど、ひとり当たりの運賃は安くなる。

逆にいえば、定員が集まるまでは発車しない。何時間かかろうが、人が集まるまでは待たなければならない。少人数で車をチャーターする手もあるが、そうするとひとり当たりの運賃は高くなる。

この「乗り合い」、公共交通機関が整っていない国・地域では、唯一の移動手段である場合が多く、これ以降も、中央アジアコーカサス、イラン・トルコを除く中東などで、かなりの回数乗ることになった。

 

2回車を乗り換え、11時前に理塘到着。

ポタラ・イン」にチェックイン。

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宿の主人もスタッフもみんな優しくていい宿だった。

↓部屋の窓から見える景色。

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理塘の町をぶらつく。

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小高い丘があって、

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町を見下ろせる。

ちなみに理塘は標高4,000m。ここ数日で心肺機能が高まっている気がするぞ。

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この町やたら野良犬がいる。しかもデカくて思い切り吠えてくるからかなり怖い。。

 

チベット住居その1

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チベット住居その2

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青空が本当に映えるなあ。

 

丘を越えるとチベット寺院があった。けど工事中で中へは入れず。

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宿で日本人夫婦と出会い、明日から一緒に行動することになった。

あらたな旅の出会いだ。

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